はれのひ土曜のおひるすぎ

あしたがお休みで何も予定が入っていないくらい充実感のある寂しさ

『何かを始めるのに遅すぎるということは無いんだ』『マジすか』

『何かを始めるのに遅すぎるということは無いんだ』
確か漫画「ROOKIES」の川藤先生の言葉です。僕はこの言葉に何度も励まされました。そして色々な遊びに手を出しては途中で飽きて辞めてしまうことを繰り返しています。飽き性なところは特に自分で悪く思ってはいません。その性格のおかげでいろいろな遊びを経験することができています。

たしかに「いまさら始めてもなぁ・・・」という気持ちで何も行動を起こさないよりは、何も考えずにとりあえず始めて見たほうが経験できることは多くなります。しかし、その始める「何か」をお金をもらって生活していけるだけのレベルまで高めることを考えるとどうでしょうか。それが僕の今の悩みです。

最初に書いた通り僕は飽きっぽい性格です。なので1つの仕事を一生続けていくことはできない人間だと思います。しかしだからといって一生「この仕事飽きたから次の仕事」なんてことができるのでしょうか。率直に言って雇われる立場でやっていくことを考えると不可能だと思います。例えば、ぼくが採用担当者だったとして、定年退職の年齢の人が「未経験ですけどがんばってスキル磨いていきます!」と言われても採用するにはかなり勇気がいることでしょう。なので「飽きっぽいから次の仕事」方式で生きていくためには雇われることを諦める必要があります。自分でビジネスを立ち上げることを考えると、自分で自分を採用すればいいので、確かに何歳になっても始められると考えられます。となると、ビジネスとしてお金をもらって生活していくための「何か」を持つ必要があります。

でも、僕にはお金をもらえるほどの「何か」はありません。だからいまからその「何か」を頑張って練習してお金を貰えるほどまでに高めたいと考えています。前回、プログラミングスクールに興味を持ったことを書きましたが、「何か」の一つが、前回書いたプログラムのスキルと考えています。プログラムのスキルを万能に考えるのは危険ですが、プログラムのスキルは便利な道具を作るためには持っていて損はしないものと考えています。

さて、『何かを始めるのに遅すぎるということは無いんだ』ですが、「ビジネスとしてお金を稼ぐまでに高められるスキルを得るために始める」と考えると、確かに遅すぎることはありません。始めるかどうかを決めるのは世の中のニーズと自分のやる気次第です。ただし、周りから見れば「あいつは夢ばかりみてしっかりと働いていない」とか「いい歳していいかげん落ち着いた生活を・・」といった印象を持たれます。何も結果を出していないのですから仕方ありません。また男性の場合は、女性にとって「収入のない男」という印象を持たれますので、多分結婚相手の候補からは最初に外されるでしょう。それに耐えられるのであれば何歳からでも何かを始めることは正しいことだと思います。

まとめると、雇われるのではなく自分でビジネスとしてお金を稼ぐために何かを始めるのに遅すぎることはありません。ただし、結果を出すまでは社会的な印象はよくありませんし、結婚の望みも薄くなります。それでもやりたい何かがあるのであれば何歳からでも始めるべき、ということになります。自分で書いててなんともしっくりきませんが、いまのところ僕の考えとしてはそんなところでしょうか。

 

プログラミングスクールに入って人生大失敗しようとしている

いま、「どんな仕事がしたいですか?」と聞かれると即答はできません。
今はいろいろな会社のインフラ基盤を作ったり管理したりする仕事をしています。しかしそれが人生を通してやりたいことかと聞かれると「いいえ」と即答できます。では「どんなことをやって生きていきたいですか?」と聞かれると、旅行やスポーツなど色々出てきます。

では、その色々出てくる内容をなぜやらないかというと、仕事をする時間が多くやりたいことをやる時間がないからです。工夫して時間を作ったとしても長期間遠くへ旅行へ行ったりすることはできません。それだけの長い間仕事を休むとなれば、会社内で悪い印象を周りに与えてしまうからです。それではなぜ仕事をしなければいけないかというと、もちろん生活するお金を稼がなければいけないからです。

つまり、やりたいことをやるためには、週に5日間を仕事に使うことをやめ、同時にやりたいことをやるだけの経済的な余裕を持つことが必要ということになります。僕の中ではこれはもはや矛盾していること、という感覚です。そのため考えないようにしてきたのですが、最近になって「あれ、ちがうのかな?」と思うことがでてきました。なぜなら、SNSで「週三日で月収XX万円」といったフリーランスエンジニア向けの広告を目にすることが多くなったからです。

フリーランスエンジニアとは会社に属さず、個人事業主として会社のシステムを作ったり管理したりする技術者を意味します。その中でもプログラミングの技術を持つ人たちは、リモートワークという働き方で、会社に勤務せずに好きな場所で働くことが出来ます。また個人事業主なので上司に「このプロジェクトが終わったらこっちのプロジェクトに参画しなさい」なんてことも言われません。「このプロジェクトが終わったらちょっと旅行にいこうかな」なんてこともできるわけです。つまり僕が憧れる「週に5日間を仕事に使うことをやめ、同時にやりたいことをやるだけの経済的な余裕を持つこと」ができる生き方があるということです。

先に書いたフリーランスエンジニア向けの広告が増えてきたのは、リモートワーク憧れを持つ僕と同じような人が増えてきたため、プログラミングスクールというビジネスが普及してきたことを表しています。プログラミングスクールとは、社会的に需要があるプログラミングの技術を身につけさせてくれます。加えて、スクールによってはその後の就職のお世話までしてくれるスクールもあるようです。どんなスクールがあるかは「プログラミングスクール」で検索すればたくさん広告が出てきます。

僕はいまそれらプログラミングスクールの一つに魅力を感じており、入会しようか悩んでいます。しかもどうせやるなら仕事をやめて数か月勉強に集中しようかと考えています。スクールの料金は決して安くなく、3か月ほどで10万円~50万円と高額です。

さて、僕はフリーランスエンジニア向けの広告に考えを誘導させられているのでしょうか。それとも、自分で考えて正しい選択をしようとしているのでしょうか。広告を見たのですから、誘導させられているのは間違いないと思います。しかしだからといって騙されているとは限りません。それが正しい選択かどうかはやってみないと分からないのです。

しかし今の仕事に不満を持った状態で、リモートワークという餌をぶら下げられてしまったら進む方向を変えることが難しい点が僕の性格の特徴です。いまの仕事をそのまま続けてストレス満点の緩やかな人生を選ぶ材料はどこかに落ちてないものでしょうか。

胡散臭い男から挑戦について考えさせられた話

数年前、同窓会で大学時代に一緒に環境科学を勉強していた友達に久々に会いました。その友人の一人に、大学を卒業するときはモデルや俳優に向けて頑張っていた男がいます。見た目はかっこいいため努力すれば十分に可能性があると思っていました。

さて、久しぶりに会ったその友人はパワーストーンと言われる綺麗な石を売る仕事をしていました。どこかの会社に勤めているのではなく自営業で商っているそうです。そのパワーストーンを身に着けていると、石が持つ効果を発揮するそうです。例えば健康の力を持つ石は身に着けた人の病気を治してくれたりするとのことです。

その石はいろいろな値段があるそうですが僕が見せてもらったその石は40万円ほどするものでした。正直、「高いな・・・」と思いました。なぜならその石が本当に病気を治す力があるとは思えなかったからです。仕組みを尋ねたのですが、僕たちが一緒に勉強した科学に沿った説明はしてもらえず、その代わりに、その石で病気を治したという人のエピソードを聞かせてもらったくらいでした。

とはいえ、彼は同級生の僕たちに商品を売り込むようなことはせず、あくまで近況報告として自分の仕事を紹介する程度でした。だから周りの人間も彼を避けるようなことはしませんでした。しかし、周りの人間にとって、彼は胡散臭い人間というイメージができあがってしまいました。なので、その後は彼を話のネタ(いいイメージではない)する事も少なくありません。そして僕もその中の一人でした。

あれから数年経った今、ふと彼のSNSの近況報告を読んでみると、パワーストーンを売る仕事はまだ続けているようです。そしてそのほかにも占い師や、ヒーリングなどといったスピリチュアルな分野を広げているようでした。僕の友人は相変わらずそんな彼を面白がって見て、また話のネタにしていました。

しかし僕の中で彼の見方が少し変わっていました。彼はこんなにも周りから決して良いイメージで扱われていないのに自分がやりたいことをやっている。そんな姿がとても羨ましいと感じたのです。自分なら周りからバカにされたりネタにされたりすると、自分のやっていることに自信を失い、周りから見てもバカにされないような生き方を選ぶでしょう。しかし彼は周りの扱いを気にせず自分のできる努力を自分のために実行していました。そんな姿がとてもかっこいいと思ったのです。

人が死ぬときに後悔することとして、「挑戦しなかったこと」がいつの時代も上位にランクインするそうです。「挑戦すること」とは「失敗を恐れずにやりたいことを実行すること」とイメージしていました。しかし、最近の彼を見ていると、「挑戦すること」のイメージが以前と少し異なり、またもう少しだけ具体的に想像できるようになりました。すなわち「挑戦すること」とは、結果が保証されていないことを実行していくことであり、自分のイメージを悪くしてもやりたいことを実行していくことであり、周りの意見ではなく自分の考えで動くことだということです。ちょっと違うかもしれませんがその違いは僕の言葉の使い方が下手だからということにしてください。

僕が最後に挑戦したのはいつだったか、と考えると、それはもう遠くを眺める目つきになるほど遠い昔のことのように思えます。このまま挑戦せずに生涯を終えるのか、それとももう一度だけ何かに挑戦するのか。彼に相談したらなんと答えてくれるでしょうか。挑戦する勇気がもらえるパワーストーンがあったとしたら値段次第では買ってしまうかもしれません。