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はれのひ土曜のおひるすぎ

あしたがお休みで何も予定が入っていないくらい充実感のある寂しさ

十八番をオハコと読んだ柳亭種彦を想いながら

今週のお題「カラオケの十八番」

さて、カラオケが大っ嫌いでカラ鉄やらカラ館やらの看板をみるだけで嫌気の波が津波ってくるこの俺にカラオケの十八番を語らせるとどうなるか思い知るがいいさ。大したことないから読んでるときの顔は嘘でも深刻な表情を意識して作ってくれると助かる。

俺が歌を歌う世界に飛び込んだのはもう19年前になる。あのころは嵐やらEXILEやらが話題に取り上げられることが多くて俺が歌うアメリカンフォークミュージックは見向きもされなかったしカビ臭い視線で見られることがほとんどだった。それでもライブハウスに呼ばれないこともなかったし自分で企画すればそれなりにバンドは集まってくれたから歌で生きていること自体に喜びを感じていた。金が欲しくないかといえば欲しかったし印税に生活を支えられる生活にも憧れはあった。でも一方で”金に汚れていない”自分に酔っていた部分もあると思う。

「フォークが売れる時代ではない」

そんな風に時代に責任を押し付けて世の中の楽な部分をつまみ食いする人生。それもいいもんじゃないか。これが4ピースのバンドだったらメンバの中から就職する人間が現れて自然消滅するという終わり方もあったかもしれない。実際に俺の周りではそうやって世の中に溶け込んでいくやつがいた。俺はそんな人間を「あきらめた人間」としてネガティブなイメージで眺めていたと思う。しかし10年ほど前だったか、そうやってシステムエンジニアに転向した友人に数年ぶりに会ったことがあった。彼はすでに妻子持ちの身分になり、ヤマアラシのようだった髪の毛は特徴のないショートヘアにデトックスされていた。

社会と自分との距離に寂しさを感じた結果、彼らは音楽を創る側から享受する側へと転向し、ビジネスマンという社会のマジョリティに溶け込んでいく。そして俺は特別な人間ではなくその中の一人だった。世間がせわしなく走り回っている中で同じような音楽しか創れない自分がそのときはなんだか成長のない自分のように感じた。人が好きな音楽は日々変化を続けているけど俺がやる音楽の順番は回ってこないしこれからも訪れそうにないようだ。

「俺もそろそろなのかな」

ヤマアラシの友人の変化によるショックが俺にそんな考えを持たせたのかもしれない。10年以上の付き合いになるMARTINのギターを持って数年ぶりにスタジオに入り、自分の十八番をCDに叩き込んだ。少ないながらも俺の歌を褒めてくれた人たちに一番評価が高かった曲だった。

これを最後にしよう。そんな決別の気持ちでデモテープとして送った俺の音楽はドラマティックな展開を迎えるわけでもなくそのままフェードアウトした。

ーーーーーーーーーーーー~ここで書くのに飽きた~ーーーーーーーーーーーー

「カラオケの十八番」というテーマでは普通は自分の大好きな持ち歌やら高得点を取得したことのある曲やらを紹介するんだろうけど、俺は違う。俺の歌唱力にかかわらず匿名性の高いインターネッツでは好き勝手言えるからだ。いくら暇だからとはいえギターもドラムも触ったことのない人間が音楽について話をすべきではなかった。そんな人間が書くからこんな簡単なホラ話もリアリティがなくなるんだ。