はれのひ土曜のおひるすぎ

あしたがお休みで何も予定が入っていないくらい充実感のある寂しさ

胡散臭い男から挑戦について考えさせられた話

数年前、同窓会で大学時代に一緒に環境科学を勉強していた友達に久々に会いました。その友人の一人に、大学を卒業するときはモデルや俳優に向けて頑張っていた男がいます。見た目はかっこいいため努力すれば十分に可能性があると思っていました。

さて、久しぶりに会ったその友人はパワーストーンと言われる綺麗な石を売る仕事をしていました。どこかの会社に勤めているのではなく自営業で商っているそうです。そのパワーストーンを身に着けていると、石が持つ効果を発揮するそうです。例えば健康の力を持つ石は身に着けた人の病気を治してくれたりするとのことです。

その石はいろいろな値段があるそうですが僕が見せてもらったその石は40万円ほどするものでした。正直、「高いな・・・」と思いました。なぜならその石が本当に病気を治す力があるとは思えなかったからです。仕組みを尋ねたのですが、僕たちが一緒に勉強した科学に沿った説明はしてもらえず、その代わりに、その石で病気を治したという人のエピソードを聞かせてもらったくらいでした。

とはいえ、彼は同級生の僕たちに商品を売り込むようなことはせず、あくまで近況報告として自分の仕事を紹介する程度でした。だから周りの人間も彼を避けるようなことはしませんでした。しかし、周りの人間にとって、彼は胡散臭い人間というイメージができあがってしまいました。なので、その後は彼を話のネタ(いいイメージではない)する事も少なくありません。そして僕もその中の一人でした。

あれから数年経った今、ふと彼のSNSの近況報告を読んでみると、パワーストーンを売る仕事はまだ続けているようです。そしてそのほかにも占い師や、ヒーリングなどといったスピリチュアルな分野を広げているようでした。僕の友人は相変わらずそんな彼を面白がって見て、また話のネタにしていました。

しかし僕の中で彼の見方が少し変わっていました。彼はこんなにも周りから決して良いイメージで扱われていないのに自分がやりたいことをやっている。そんな姿がとても羨ましいと感じたのです。自分なら周りからバカにされたりネタにされたりすると、自分のやっていることに自信を失い、周りから見てもバカにされないような生き方を選ぶでしょう。しかし彼は周りの扱いを気にせず自分のできる努力を自分のために実行していました。そんな姿がとてもかっこいいと思ったのです。

人が死ぬときに後悔することとして、「挑戦しなかったこと」がいつの時代も上位にランクインするそうです。「挑戦すること」とは「失敗を恐れずにやりたいことを実行すること」とイメージしていました。しかし、最近の彼を見ていると、「挑戦すること」のイメージが以前と少し異なり、またもう少しだけ具体的に想像できるようになりました。すなわち「挑戦すること」とは、結果が保証されていないことを実行していくことであり、自分のイメージを悪くしてもやりたいことを実行していくことであり、周りの意見ではなく自分の考えで動くことだということです。ちょっと違うかもしれませんがその違いは僕の言葉の使い方が下手だからということにしてください。

僕が最後に挑戦したのはいつだったか、と考えると、それはもう遠くを眺める目つきになるほど遠い昔のことのように思えます。このまま挑戦せずに生涯を終えるのか、それとももう一度だけ何かに挑戦するのか。彼に相談したらなんと答えてくれるでしょうか。挑戦する勇気がもらえるパワーストーンがあったとしたら値段次第では買ってしまうかもしれません。